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    8/26/2009

    残暑お見舞い申し上げます’09

    気がつけば、お盆という夏の折り返し地点を過ぎて、8月も月末。東京という街は本当に、時間の流れが早い。留まらない。動かないものは取り残される。がむしゃらに生きる人と全てに疲れて投げやりに生きる人と、自分の速度をみつけて、無理なく歩く人と。色々な人がいて、興味深いね。此処は。未だに。何にしても、今の場所に頑なに居続ける理由は?信念と夢の欠片がまだ残っているからでは?妥協だけではないはず。試したい自分が、確かに存在している。人はしぶとく欲深い。いつの間にか、地球を覆うほどに。

    6月から会社勤めを再開して。慣れない仕事と情けない成績で結果は出てないし、仕事以外にも大事なことが山ほどあるのに心も体も追いついてなくて、それなら本末転倒だし会社勤めなんて元々向いてないからもう辞めなよと多くの人に言われているけれど。負けず嫌いだし諦めが悪い性格だから、こんな状態では辞められません!負けるもんか!

    要は、身を削ってでもやりたいことはやるべきで。時間はつくるもの。体力は、倒れるまでが限界。

    もう少し涼しくなったら、本格的に色々と始める予定です。SHOPもグランドオープンに向けて本格的に動くし、個展もやりたい。あと今現在、HP制作の仕事を何件か依頼されていて、これからも増えそうなので、改めてちゃんと勉強もしたい。あと店でアンティークを取り扱いたいので古物商の免許も!忙しい。

    この間、白金の魚らん坂下の交差点で、虹をみた。広い空に、はっきりとした輪郭の二重の虹。仕事中だったけど、心が潤った。虹と雪は、みつけると人に知らせたくなる。でもその時の気分で知らせたかったひとにすぐに連絡したけど、無反応で。人には温度差というものが。忘れてた・・・。

    まだしばらくは微妙に暑い日が続くけれど、みんなは元気ですか。夏らしい遊びを、もっとしたい。まだ間に合うはず。私は今、水曜日しか休めないけど、声をかけられたら、断念して応えてね。夏が終わる前に取り急ぎ更新してみました。ではまた♪

    niji-1

    7/24/2006

    呑み込まれて流されて行き着く場所について

    当たり前けどひとりの人間として生きていて、パソコンに向って文章を打ち込んでいる私は人生の真っ只中であり、アップした文章を読む友人なり通りすがりの誰かにしても同じで、幾つかの時間を潜り抜けて今ここに居て、意志とは関係なく時間というものに呑み込まれて流されて皆がどこかに向っている。行き着く場所を誰も知らない。しかし確実に終りは、ある。
     
    将来自分はどうなっているのだろうという不安を大抵は強くも弱くも持っていて、金銭的に老後が心配だな年金はもらえるのかなとか結婚などに拘らずに自由を謳歌したいけれど最期に孤独死はイヤだなあとか。でも死に方より生き方について考えるべきだとも思う。死に方は自分では決められない。それはある日突然訪れて、自殺にしろ精神的に追い詰められて至るケースが多い訳で、それはつまり外からの圧力により押し出されたにすぎなく、やはり自分の意志というものは殆ど存在しない。
     
    生き方といえば数年後の理想ではなくて『たった今するべきこと』で、「じゃあ、後先考えずに好き放題に生きて今さえ楽しめばいいのか」という安易な捉え方をするひとがいたとしたら「あなたがそれで心落ち着くならいんじゃないの」と言いたい。心のどこかで不安を感じているのならそれは『今するべきこと』とはいえない。やましさも、自分の意志から生まれる感情ではない。それを感じるなら本意とは違うということなのだと思う。感じないなら・・いんじゃないの、それで。
     
    間違っていたら後で直せばいいしそれも無理なら再生してから頑張ればいい。死後の世界に輪廻転生がなくても、今、その考え方が糧になるならそういう風に思い込めばいい。『真実=正しいこと』でもないし。
     
    春から夏にかけて、否応にも生と死について人生について堂々巡りに陥っても切れ目なく考えざるを得ない状況の中で得たものは計り知れなくて、それは夢よりも現実よりも明確でテレビドラマのようだった。自分さえも外側から眺めているような気分で魂に至ってはどこを漂っているのかも把握するのが難しく、手探り状態。取り戻すたびにここだよ、って説明しても目を離すとまたどこかを浮遊していた。
     
    何を言いたいんだっけ。最初に書いたようなことは当たり前のことだよね。誰もが言われなくても判っているような。私もそれは随分前から知っていて、知っていたつもりだったけれど、でも今回改めて痛感して、今まで自分は判っていなかったかもしれないと思ったから。つまり何を言いたいんだっけ。そうだ写真も絵も好きで下手でも永遠に続けるけれどいちばんやりたいことがあってしかも向いている気がするのでそれになろうかと。そう思います。がんばる、って話。
     
    数年前までは他人の人生観とか哲学とか関係ないからと思って生きてきたけど最近は哲学書やエッセイを読んで(読んでいて楽しいかは別の話・・)頷いたり反抗心もったり。つまり、ようやく他人の意見を聞けるようになったのだ。色々きいて、反芻して、自分が正しいと思う理念だけを抽出するということ。無論鵜呑みにはせずに。
     
    4/10/2006

    桜の樹の下には

    月曜日は仕事帰りに青山霊園の桜をみにいった。遠くにみえる六本木ヒルズと東京タワー。手前には桜と墓石。週末の雨で散ったかと心配していたのだけど濡れてより濃厚な妖艶さを漂わせていた。更に場所柄、独特の雰囲気がとても不思議で花酔いしかけた。
     
    墓地なのに屋台。墓地なのに花見客(謎のパーティーに興ずる外国の方々含む)。異様な光景。青山霊園自体に初めて訪れたのだけど、墓地でさえお洒落で友人と感嘆。公衆トイレにさえイオニア式の柱がついていたもの。お洒落すぎて笑える。
     
    火曜日は仕事帰りに代々木公園の桜をみにいった。当然、青山霊園とは違う賑い。原宿はハイ↑青山はロウ↓。日本酒とネギトロ巻と鉄火巻とベトナムの春巻をお土産にして花見に混ぜてもらった。桜の下で繰り広げられる酔っ払いたちの無法トーク。新鮮でした。
     
    夜、梶井基次郎の『桜の樹の下には』をふと思い出して読み漁って、狂気に触れて、青山霊園の桜の妖しさを思い出して、妙に納得して、目が覚めて、文章を書き殴りたいという衝動にかられた。春なのに色恋どころか屍体の養分を吸う桜のイメージでどきどきして眠れなくなるなんて。
     
    狂気が微量、伝染したのだろうか。久々に夜更かしに没頭する日々が続いていて、癒しもゆとりもロハス(って何)もあったものではないけれど、その方が逆に調子よかったりして、実はいちばん私らしい状態なのかもしれないとも思う。もはや何が正しいのかわかりません。
     
    兎に角、色々なものを薙倒しながらぐんぐん進んでいこうとしている自分を感じる。まだ勢いばかりで実際にはあまり進展していないにしても。春らしく前向きな気持ちで充ちている。懐かしい衝動、爽やかで初々しい気分です。内側で何かが芽吹いています。
     
    毎日、歌をうたいながら出勤して働いて帰宅して創作して遊んでいる。冬が終って寂しいけれど、良い春。昨日の狐の嫁入りも、太陽燦燦で青空もみえているのに雷は鳴り響くし雨もザアザア降っていて、ファンタスティックだった。眩しい位に光り輝く庭の緑をみて、一緒に潤ったような気持ちになった。瑞々しさ、もっともっと欲しい。
    3/14/2006

    清水湯

    表参道で清水湯という銭湯をみつけたので、仕事の後に妹と行ってみた。青山通りのとある角をひとつ曲がると別世界。静かな住宅街。真っ暗で人も車もいない。何かが始まりそうな空気が、ジブリの冒頭みたいだった。ゆばあばはどこだア~キョロキョロ。うろうろ。清水湯の看板を発見。 入浴料四百円。手ぶらセット百円。 
     
    数年前に改装したようだけど、いわゆる昔ながらの銭湯の面影は充分に残っていた。高い天井。扇風機と大きな体重計とロッカー。切れ味よすぎる剃刀。珈琲牛乳。壁の絵が富士山ではなくてアルプスだった。山梨県南アルプス市の友人を思い出す。ネパールでみたヒマラヤも思い出す。エヴェレスト。サガルマータ。チョモランマ。
     
    トイレに行く途中でみつけたのだけど、庭の池には小便小僧がいた。訳わかんない。センスがよすぎて惚れた。 銭湯はいい。風呂あがりの幸せ度が相当高い。心地いいもの好きにはたまらない。ねえねえ、誰か一緒に神田川やろうよう。凍えながら待つよ。
    2/9/2006

    東京スカイビュー

    六本木ヒルズの展望台から東京を眺めた。東京と時間ごとに移りゆく空。昼間は雲がかかってぼんやりしていた富士山は、夕暮れになってようやくピンクとオレンジの空を背景に濃いシルエットをみせた。圧巻。夜景の主役は東京タワー。オレンジ色の存在感。赤と白、という東京タワーのイメージはこの日からオレンジ色の暖かい光に。
     
    旅の計画が続々と決まる。仙台、韓国、直島、できればスペイン、はい、もうすぐ破産します。その分、頑張って働きます。その他にも色々、何ヶ月も先の予定まで含めてどんどん計画をたてたり持ちかけられたり。今年は欲張りになろうって決めたから、全部ぜんぶ叶えたいけれど、もつのか私。いいの、だめだったらいっそ行き倒れたい気分なの。
     
    誕生日は普通に働いて少し残業して、その後、恵比寿のワインバーでフランスワインをボトル飲み。バラの花束を貰ってどきどき。花束なんて、殆どもらったことがない。だから花束とか色紙とか、すごく嬉しい。帰宅したらバースデーカードとお祝いメール。ひとつひとつに返事をしながらやっぱり誕生日っていいじゃん、って思う。おめでとうおめでとうって沢山言われて。もじもじせずにありがとうって素直に言えて。
     
    改めて、皆さんどうもありがとう。年を重ねるたびに保護者が増えていくような気がする。年を重ねるたびに背中を押す力が強大になっていく気がする。心強くて心地よい。
     
    更に。約一年前に海外に発った友だちが数日前に帰国した。待っていたよ。嬉しいよ。早く会いたい。前みたいに、前よりもっと、一緒にたのしいこと沢山考えて形にしていきたい。 だって今年はそういう前向きな年なのです。
    1/19/2006

    お豆腐屋さん

    豆腐屋のプァーて音、いいよね。外がぼんやり薄暗くなってきたときに、家の前を通り過ぎる。部屋の中でテレビもつけず音楽もかけないでぼおっとしていると、ふっと聞こえてくる。それで、初めて、あっ夕方だと気づくことも多い。外をみると青いフィルターがかかったみたいな曖昧な色。
     
    私がいつか結婚して、家でごはんとかつくれるようになったときにも豆腐屋がプアァーとラッパを鳴らして家の前を通ってくれますように。エプロンをつけたまま器を持って飛び出したい。だいぶ先になりそうなので不安だから祈ってしまうけど。
     
    今日はひとりで車に乗って少しだけ出掛けた。車を使うようになって、新しい時間と空間をみつけた。車のなかで、ただひとりで居ること。あの狭さと静かさが新鮮。ずっと家族と暮らしているかもしれない。落ち着く。
     
    走っているときよりも止まっているとき。特にどこかに出掛けてから夜に帰ってきて、駐車場に止めた瞬間。エンジンの音やBGMが消えた瞬間。その日の余韻とか自分の感情だけが密閉された空間にじわーっと広がっていく気がする。
     
    独りで過ごしているときにいつも感じるのは、時間なんかがぎゅうっと凝縮されていく感覚。私は普通のときでさえ、たまにそうして時間が止まったりねじれるときがあって、誰かといても話の隙間にすとんと落ちて、違うところに意識がふわーっと飛んだりする。
     
    そういうとき頭の中は真っ白。何も考えていないのか覚えていないのか。正面で話しているのに視点がおかしいとき焦点が定まっていないとき、要注意です。何ひとつ聞いていません。
     
    私のぼおっとしているときの集中力というのはものすごくて、ひどいときは両隣から耳元で何回話しかけられても聞こえていなかったり、ずっと話きいているつもりで何もきいていなかったり、気がつくと無意識で数時間経過していたり。普段、落ち着きなく走り回っているせいで、ONとOFFの切替がスイッチ式になっているらしい。
     
    空色のヴィッツは妹の運転技術によってますます傷が増えた。因みに目立つかと思っていたこの色は夕方の青に溶けやすくて、案外風景になじむな、とか最近思う。そういえば空と海と夕方の空気の色だからね、当然自然ということか。
    1/4/2006

    心臓がきりりと痛む

    時々、心臓が針で刺されたみたいにきりりと痛む。だって、待つことを辞めることはできないでしょう。何事もなかったかのように、普通に日常生活を送れば、それだけで継続できてしまうのだから。例えば駅のホームで電車を待つ間に、並行して何かを待っている。
     
    ごちゃごちゃ考えてると、頭でっかちになるから、布団に潜って眠る。眠るとたくさんのことを曖昧にできて都合がいい。考え始めるとネガな方向にしか拡がっていかない、その退路を断って、前進するためのひとつの方法です。きっぱり。
     
    どうということのない、怠惰な言い訳。でも夜通し悶々とするよりはずっと健康的でいいと思う。
     
    元旦から徹底して寝正月を送っていたので、昨日は街に出てみた。人間で溢れる横浜。あっという間に人酔い。買い物しにいったのに、改札をでた瞬間に戦意喪失して何も買わずに帰ってきた。
     
    今日は仕事始めだった。青山通りを渋谷から表参道に向かって颯爽と歩く。冷たい風がビシビシと顔に刺さる。
     
    だから冬が好き。寒さは思考回路をシンプルにする。寒くて寒くて仕方がないと、余計なことは考えないし、余計な行動もしない。
     
    澄んだ空気を思い切り吸い込むと、体中に冷たい風が駆け抜けて気持ちがいい。温かいものに触れたときの身も心も溶けるような感覚も、好き。今が冬でよかった。寒ければ寒いほど、冬が好きになる。でもそれにしても寒すぎるかな、ちょっと。
     
    2006/01/04
    12/22/2005

    宙ぶらりんな日々

    帰国後は暢気な無職ライフ、と思いきや意外と忙しなく動いている。帰国した翌日には紛失した携帯電話を再生するためにドコモショップに直行。夜はゲルマニウム温浴。*かなりボロボロになって帰ってきたので、肌と体を癒しに走ってしまう。
     
    日曜日は着付けの日。この間買った帯が実は名古屋帯ではなかった。広げてみたら半幅になっていなかった!またうっかり!でも落ち着いた色合いと手機の質感が好き。久々の着付けは、色々と忘れていて手間取った。帰り道にキラキラなものをふたつ買った。
     
    次の日は前のバイト先で中学時代の友達で集まってネパールのお酒を飲んだ。この日の昼にもキラキラなものを買った。キラキラに輝くものがどうも気になるらしい。吸いよせられる。
     
    昨晩は友人が泊まりにきたので一緒にごろごろした。夜中に妹を迎えにいってプチドライブ。お酒のんだりアイス食べたりしながら懐かしい占いの本を開いてみた。心理テストで人生観とか恋愛観とか。合っているとかいないとか。眠くなるまでゆるく過ごす。
     
    今日は『ワダエミの衣装世界』をみに外苑前まで行った。梅窓院の祖師堂ホール。写真は撮れなかったからみせられないけれど。きれい。呼吸をするのを忘れた。或いは溜息。鮮やかな色彩と素材の質感。白も黒も鮮やか。触れたい着てみたいウズウズウズ。ワダエミさんが衣装を手がけた映画や舞台の映像も流れていて、立ち止まってうっとり。『HERO』『LOVERS』....
     
    『浪人街』の衣装のみ触れることが許されている。絹と麻。なでなでしてきた。黒澤明監督の映画『乱』でアカデミー賞を受賞してから今年で20年になるのだそう。やはりグローバルに活躍しているひとの仕事は違う。丁寧というか繊細というか、完璧。
     
    いや、完全なものなんてこの世界にはないのかもしれないけれど、そう思わせるだけの力がある。
     
    束の間の休暇だと思って、働かずに好きなことをして過ごしているけれど、でも、無職で宙ぶらりんな状態が早くももどかしい。ふわふわ。美しいものをみて吸収しても、その重さにぐったり。どういうことだろう。合間合間に仕事を探しているのだけど、特に決まらず。決まったかと思ったら流れた。しばらくゆっくりしていようと思っていたけれど、性に合わないみたいで落ち着かない。まだ帰国して一週間も経っていないというのに。それ以外にも気にかかることがあって、というか、だからこそ落ち着かないのか。きゅう。
     
    いいや、雑念を振り払って年賀状でも書こう。今年は元旦に間に合うように。